手塚治虫の豚ピョーン

大久保八億のブログ

7月のMC大久保五兆

1日目 

まずはじめにいろんな人から「大久保さん、あれなにやってるんですか?????????なにが目的なんですか?????????」といわれるのでご説明させていただくが、事のはじまりといえば前からいろんな人に「こんなん撮ったんですけどどうですか〜?」とウケるために撮った映像を見せてたんですけど、そのうちのひとつをシャラ〜ぺさんが気に入ってくださり、こんなにウケるならTwitterに投稿でもすっか〜としたところ結構当時のフォロワーのわりにRTされて、翌日に「毎日同じのうpしてよ」とさらにアドバイスをいただいたのがはじまりで、そのときはまぁ世間も3日で飽きるだろうなと思ってたのですが意外に継続のウケを知った以上毎日深夜1時超えるまで起きてなきゃいけないという枷をおいながらも続けてしまっている。1本目、撮影日は去年の12月頃でしょうか?特にこのときはこんな世間に見せるもんだとは思ってもいなかったので一番ヒゲが無精である。

 

2日目

投稿後餅つき機の動画のあとにイエー♪があったほうがいいとの指摘を受ける。概ね好評。

 

3日目

投稿後「エムシー」ではなく「エムスィ〜」ではとの指摘。本人のいないところに正解がある。この日から同期のどういう回転なの!?の誕生日プレゼントにしようかと思っていたヘッドバンドを大久保五兆用にする。

 

4日目

問題作。スランプに陥った。というのも冒頭は「ヘイヨー 俺はエムスィ〜大久保五兆」ではじまるのが常だったのだが、どう頑張っても「ヘイヨー 俺はエムスィ〜五兆」としか言えなくなってしまったのだ。今となっては理由は簡単でこの最初のヘイヨーは前の小節(でいいんですかね?)に組み込まれているのだが、それを丁寧に踏んでしまっているため大久保の音のスペースがなくなってしまったのだ。いまでもこのミスはよくする。

 

5日目

この日は紅さそりライブというのに呼んでいただき、その打ち上げが長引き終電に乗って結果1時前後に投稿するというルールを破ってしまった。いや、本当はルールなんてないんですが、だんだんと毎日やる事でけもの道というか、こうでなくてはいけない完全体の大久保五兆が出来上がっていってきている。とりあえず深夜自宅にいないことも多いので撮り溜めを決意。

 

6日目

ここらへんから「キツいな……」が少し出てくる。でもまだ10%に満たない。

 

7日目

焦ってナンバリングを忘れてる。一週間経ってだいぶ小慣れてきたか?ここで気づいたのですが、餅つき機の動画って自分にリプライ送る形で連結させてるんですけどその一番上の1と4が結構のびてる。人間の心理的に一番上がのびやすいのでしょうか?だとしたら7も…と期待しつつ就寝。翌日そこまででもなくて笑う。

 

8日目

7よりこっちのほうがわりかし伸びたことで前日の法則が完全に崩壊。餅つき機とラップのBPMがリンクしてるほど伸びやすいのか?わからない…。

 

9日目

この日はくら寿司に行って、何の気なしに作った動画がよく伸びて満足。サングラスの奥でホクホク顔。

くら寿司で何の気なしにつくった動画。今のところ僕のツイートで一番伸びた。

 

10日目

髪の毛切りに行って失敗した。韓国ポップスターみたいにされた…。本当にヘッドバンドがあってよかった。

 

11日目

この餅つき機の動画全画面だと真っ黒になるバグがあって撮影大変だった記憶があります。

 

12日目

餅つき機のラップのカンペをガン見してるところが写り込んでいると一般の方に指摘され恥ずかしかった。いいでしょ別に!!!!!!!

 

13日目

餅つき機の動画あるあるとしてサングラスに餅つき機が写り込んでしまうというミス(過去のやつもよく見ると写り込んでるやつ山ほどあります)をよくやるのですがそれを恐れすぎてむちゃくちゃ変なアングルになってしまっている。この日はもう餅つきノイローゼになっていて11、12ときたから次は11?とナンバリング間違えて一回削除した日でもある。わからなくなってきた。

 

14日目

二週間たちました。この日は体がしんどすぎたため過去の作品。これ聴いて改めて思うんですけどクレバてかっこいいですね。

 

15日目

ちょっと変化をつけてみようかとDJっぽい格好してみて朝起きたら1RTだけで死ぬほど笑ってしまった。大久保五兆に何を求めとんじゃ。

 

16日目

銭湯にゆっくり浸かって松のやで120円ジョッキコーラ飲んでたら投稿忘れる大失態。この上からプレスするタイプの工場の餅つき機怖いですね

 

17日目

改めて見てみたが本当に記憶がない、コメントしようもない。確実に一歩奥へ踏み込んでいる。

 

18日目

この回はセイキンの動画では?と言われたが、餅つき機の動画です。

 

19日目

これは撮り溜めしたやつかな?中国の餅つき機の動画です。

 

20日目

これも確か撮り溜めしたやつです。体がしんどかった。

 

21日目

目が腫れたためいつものサングラスがかけられず急遽サングラスを変更。中学の時インド旅行行った時に買ってもらったものです。ちなみにいつものやつは妙高にスキーに行った時に購入。

 

22日目

だいぶリリックを書き上げる速度も上がり、トータル15分ほどで撮影が終わるようになった。初期に比べると大成長だが、「深夜一時にこんなラップはどう”だ”?」といつもは「どう”か”?」なのにまちがえているとの指摘。正直全然意識してなかったし知ったこっちゃね〜。すみません。

 

以上です。餅つき機の動画の底が見えかけてるんですけどまあそこは頑張って、どうにか100は超えたいですね。深夜1時毎晩起きてるの辛くてストレスでものもらいできまくってるんですけど頑張ります。

暗算

パパパパパパパパパパパパパパパ

 

「…7539です」

「ご名答。うん、1.76秒の正答率も95%越えてきたね。次週からまた少し速度を上げてみようか」

「…はい」

「今、日本のフラッシュ暗算やってる小学生5年生で一番強いのは君だからね。次こそは絶対高学年の部優勝しなくちゃね」

「…はい」

「そのためには95%じゃダメなこともわかるよね。じゃあ最後に4桁10個の暗算30セットでやめにしようか」

 

外ではジ〜ヨジ〜ヨと蝉が鳴いている。なんという種類でどんな色かたちをしているのかは知らない。もう5回目の夏休みなのに5回ともクーラーの効いた部屋でずっと数字ばかり追いかけている。

 

もう頭脳開発塾に行きたくない。何ヶ月か前、一度家に帰らないことに決めたが、どこで何をしていいかわからなかった。公園のベンチで暗くなるまで座って、たまらなく腹が減っていたらお巡りさんに声をかけられて家に連れて帰らされた。お巡りさんが玄関から出て行った瞬間、お母さんに頬を思い切り叩かれた。最初は心配させるなと怒鳴りながら叩かれたが、そのうち金切り声をあげながら泣きじゃくり何を言ってるかわからなくなっていた。お母さんは僕のことを好きじゃない。人形だとしか思っていない。心配なら家なんかにいないで自分の足で探すとおもう。数日後久しぶりに病院から帰ってきた父さんは「毎日塾行ってて偉いな」と話しかけてくれた。父さんは僕のことに興味すらないのだと思う。

 

クラスメイトとの会話もなくなった。いじめてくるやつもいないし僕から話しかけると応じてくれる。ただ、話しかけられない、誘われない。あたりまえだ、予定が月に25日、頭脳開発塾で埋まってるやつがどう仲良くなればいいんだろう。いじめられるだけの欠損も友達になるだけの価値もない。小学三年生の頃一度だけ休みの日に友達についていった。ニンテンドーDS遊戯王も持ってなくてほとんど遊べなかったけど、それだけでよかった。はじめて遊戯王のデッキを見せてもらったけど遊び方もわからないので右下の数字をずっと足していた。248500。みんな半信半疑で電卓であっているか確かめた後に、すごいねと褒めてくれた。僕のできることはポケットに入る電卓ができることだ。

 

僕には頭脳開発塾を壊す力も、僕を縛り付ける母さんを絞め殺す腕力もない。だから今はフラッシュ暗算をとにかくやる。そして秋の全日本大会の高学年の部で勝つ。優勝したらようやく僕の前にマイクが向いたら、そこで引退を発表する。この世の全ての呪詛、心の叫びをそこで放ってやるんだ。前みたいなミスはしない。秋田の6年生有麻和樹の逆転優勝。あいつのせいで僕の計画は1年伸びた。とにかくなにがなんでもやってやる。ぶっ倒してみせる。

 

「第36回フラッシュ暗算全国大会小学生の部 いよいよ始まります、決勝戦。今年も予選を勝ち抜いた2人の猛者が暗算で戦い抜きます。まず最初の決勝進出者は東京都小学五年生田中優くん!続きまして前年度チャンピオン秋田県小学六年生有麻和樹くん!」

 

有麻も全問正解で決勝へ上がってきた。ここで負けるわけにはいかない。

 

「それでは決勝のルールを説明します。3桁15枚のフラッシュ暗算をしていただきます。より早いフラッシュ暗算を正解した方の優勝となります。それでは最初は2.00秒からです。どうぞ。」

 

ピッ ピッ ピー

 パパパパパパパパパパパパパパパ

 

「それではお二人、回答をどうぞ!!」

「「7651」」

「…両者正解です。おめでとうございます。」

 

その後も0.01秒刻みで秒数は短くなっていくが一向に決着はつかない。有麻の方を見るとブレザーを脱ぎだいぶ疲弊しているのがうかがえた。1時間経ちお互い消耗している。次が、1.70秒。練習でもしたことのない未知の領域だ。「え〜ここで大会からのアナウンスです、時間の都合もございまして、次が最後の出題となります何卒ご了承ください」

もう有麻なんてどうでもいい、僕が、正解を出す。

 

次で決める

 

次で決める

 

次が最後、勝つしかない

 

「それでは参りましょう。小学生対決も佳境です。どうぞ!!!!!!!!」

ピッ ピッ ピー

 


HOTEI - スリル

 

いや数字出せよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!長いよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!で誰!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!長くて誰!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!おい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!数字を出せよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!おいこら!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!なめんなよカス!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

有麻「しめて792布袋557女98火花16信号機67不明1ゆっくりです」

 

いや正解すんのかい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 

 

僕は脳からゆっくり血が下がっていくのを感じて、目を閉じた

 

 

 

読書感想文・1973年のピンボール(著・村上春樹)

東京に来て14ヶ月が経ちました。

 

一人暮らしも少しずつ慣れてきまして、引っ越してきた当初は右も左もわからず、映画レオンのジャン・レノに憧れて1Lの牛乳を買ったもののコップ一杯飲んで満足したまま放置し、じりじり賞味期限を迎え、半泣きで700ml牛乳を一気飲みするということもありましたが、今では「コーンフレークを買えば一気飲みしなくていい」という知恵を手にしました。夜ひとり泣きたくなったり元気ががなくなった時はフードバトルクラブで岸義行と山本晃也がバトルしてる動画見たら勇気もらえるし結構笑えることも知りました。健康のために自炊したらコバエが湧きすぎるのでコバエコナーズを買ってきたものの、2箱同時に開けてしまい部屋をコバエコナーズ腐敗臭にまみらせて軽い黒魔術したときくらいコバエを逆に多く呼び込んでしまうこともなくなりました。ほんとうに日々タフになっていくことを感じます。

 

話は変わるのですが、僕は完全に中学の時に村上春樹にハマっていて、当時所属していた陸上部の遠征にも海辺のカフカねじまき鳥クロニクルをいつでも読めるように携えていて、それこそ100m走の直前までストレッチをしながら読んでいたんですけど、あるときちょうどそのストレッチの最中、セックスのシーンにぶちあたってしまい、まぁ14歳なんで確実に勃起し棄権するか迷った結果勃起しながら100m走り抜け自己ベストを超大幅に更新するということもあって、まぁそれくらい好きだったわけです。

 

特に好きだったのが村上春樹がデビューしてからのいわゆる鼠三部作といわれる風の歌を聴け、1973年のピンボール羊をめぐる冒険で、主人公とその友人の鼠と呼ばれる男の関係を描いてるんですけど、これが背伸びしたい年頃の僕にどストライクでしていつか東京に行けばこいつらみたいにクセのあるマスターがいるバーで永久に愛想もない会話したり、プールサイドでボケっと時間つぶして気まぐれに泳いで、ちょっぴりストレンジな恋して、誰もが孤独で、そして主人公になれると思ってたんです!

 

……いやマジでなんなんすかね村上春樹。ただの大うそつきじゃないですか。開けたばかりのツーウィークのコンタクトレンズと歯ブラシをユニットバスのトイレに落としてそれ以降ユニットバスの蓋しめてたらあるとき寝ぼけて蓋におしっこして全方向に跳ね返っておしっこがたんぽぽみたいになった描写ないじゃないですか!松屋行って券売機に500円2枚入れたのにお釣り出てこなくてお昼の忙しい時間にも関わらず店員さんに頭下げて機械開けてもらったらコインの枚数正常でペテン師を見る目で見られて泣きそうになりながらグリーンカレー食う描写なかったじゃないですか!外出るのだるいから一日中YouTubeみて登録者数2万人くらいのほぼ知らないYouTuberのモノマネ90点レベルでできるようになって友達に「しらね〜よw」のツッコミありきで披露したら友達も同じライフサイクルだから100パーセントで伝わって爆ウケする描写もない!女との出会いもほぼ0!バイト先でワタナベのライブを中心に活動してる俺と同じくらい勤務態度悪いお笑いファンと仲良くなったけど社員にセクハラされて5ヶ月で辞めてったからそれ以降特に何もない!村上春樹!マジでヨーロッパ住んでるらしいけど行く機会あったら殴るからな!詐欺だ!俺は喧嘩商売とケンガンアシュラを7軒のブックオフ走り回って読破したから足腰と喧嘩の技術が同時に向上したんだぞ、村上!せいぜい金的にジョニーウォーカーの瓶を隠して防御するこったな、覚悟しとけ!

 

いやでもそんななかで唯一村上春樹の描いた主人公と俺がダブってるシーンがあって、1973年のピンボールで街を離れた主人公がバーで鼠と遊んでたスペースシップというピンボールを探すシーン(というかストーリーの主軸)があるんですけど、俺も地元にいた頃めちゃくちゃ仲良かった友達とビンゴギャラクシーというメダルゲームをしてて、友達が大学受験してる期間中しばらくやらずにたら地元のゲーセン潰れたりビンゴギャラクシー自体が撤去されてたりして、ゲームセンターはほんとうにしばらく見ない間に大型の味気もクソもないプッシャーゲームだけになっていて、その前に一日中「毎日おもしろくないですよ〜」って張り紙背中に貼ったジジイとオバハンが座っているという街自体の終わりというか絶望すら感じるようになっていて酷く悲しんだのを昨日のことのように思い出します。

 

そして僕は東京に来て、どうにかして老人が座ってないビンゴギャラクシーを探す旅に出たんですけど、ま〜ないんですよジジイの座ってないビンゴギャラクシー。僕の地元は娯楽がなかったんで比較的大型機にしてはシンプルな構造のビンゴギャラクシーは色気がなかったのかジジイ人気がなくガリレオファクトリーグランドクロスなどの演出、ジャックポット共に多めの台が黒山の人だかり、いやジジイの山にジジイがたかってる状態で月桂冠のワンカップを置いて場所取りして月桂冠ごと台奪われて、お互いのジャンパー掴み合って落下速度0の巴投げなんかしちゃってるような状態だったのですが、東京のゲームセンターのメダルコーナーにはパチンコ屋の音量ではもう体が持たないジジイかパチンコ屋をなんらかの理由で村八分にされたジジイしかいないので比較的落ち着いた台にジジイが集まる傾向があるらしく、ジジイがビンゴギャラクシーの周りで競馬予想している池袋西口アドアーズは潰れたし、おそらくライフリーにパンパンにうんこ漏らしてるジジイが常駐してる新宿プレイランド カ〜ニバルはライフリーにうんこパンパンに漏らしてるジジイいるから論外なわけです。これで東京の主要ビンゴギャラクシーは現在0です。

 

ときおり夢の中でビンゴギャラクシーをプレイしていることがあります。夢の中で僕は中学生で隣には岸本がいて20BETしていて。そして最初の三球が回る盤面に発射されていき8、21、24に吸い込まれていく。そして審判者が4球目の色を告げる。……緑。14に吸い込まれる。5球目。赤。……17。スリースポットビンゴ。リベットするルーレットが回る、オッズは3倍、ラッキー。また兵隊が時刻を知らせるみたいに3球発射されていき、補充されていき…。それだけで目を覚ますのです。それだけの夢なのですがたまらなく幸せで朝起きるといつも泣いているのです。

 

僕はもうあの頃に戻れないし、あの頃一番美しく楽しかったビンゴギャラクシーはもうないことは自明で。これからどんどんビンゴギャラクシーは記憶の中で美しくなっていくし、古びたビンゴギャラクシーが一台、また一台とゲームセンターから消えていくたびに高いくそびえる城へと変わっていくんだろうと思う。だから、話を戻せば、村上春樹がこういうことの切なさを伝えることができる一番最後の手法として主人公が最後スペースシップと再会できたのはどこか自分の中の救いでもあるのかなと、先日再読して思った。

 

ビンゴギャラクシーが「ない」自分は今東京で何をしているのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは新宿のタイトーステーションでアニマロッタ3〜伝説のアニマ〜やって、ビンゴバルーン、ハニーエイト、チェーンボンバーの布陣でちょうどよく増やしつつ度々入るクリスタルチャレンジにいやシステムはまぁまぁええけど誰が得するんじゃこの時間と少々イラつきメダル300枚以上増やした日はいわもとQで天そば大盛り食うということなのです…。

 

だれか農薬貸して〜!ペプシに混ぜて死ぬからw